学生→旅人→ニート→独立(現在24歳)|Life is Good 運営者の物語(学生編)

スポンサーリンク

こんにちわ。Life is good 運営者のたかひろです。今回は僕の人生の物語についてブログのように書いていこうと思います。これから独立したい!今はまだ自分のやりたいことがわからず悩んでいるけど、いずれは夢や目的を持ち自己実現したい!という人に、少しでも参考になればと思い、この記事を書いています。

僕はまだ24歳ですが(僕自身はもう24歳と思っていますが)、僕の人生は例えるならジェットコースターです。いろいろ省略する部分もありますが、前編と後編に分け、学生→旅人→ニート→独立に至った物語を書いていきたいと思います。前編では学生、旅人編。後編ではニート、独立編を書いていきます。

結論だけ先に言わせていただくと、人生チャレンジしてなんぼです。誰しもが迷います。誰しもが他人と自分を比べます(いい意味でも悪い意味でも)。でも、いちばん大事なのは「自分は何がしたいのか」ということであり、人生では、その夢・目的へのチャレンジを繰り返した先に幸せ(幸福)があるのだと思っております。では、オナニー(自己満)のような記事になってしまわないかとそわそわしながら書いているのですが、もしよければ読み進めていただきたいです。

(写真はイメージです笑)

高校 編

「将来の夢はサッカー選手になって日本代表になること」普通よりちょっと遅めな10歳でサッカーを始めた、小学6年製のとき、12歳の僕の夢でした。小学校は地元のサッカーチームに所属し、サッカーを始めたのが遅かったこともあり、結局レギュラーにはなれませんでした。でも、中学に進学する頃には僕は壮大な夢を描いていました。

「サッカー選手になること」。一応言っておくと、特別うまいわけでも特別強いチームにいたからレギュラーになれなかったわけではなかった小学生時代。中学も地元の中学に進学し、サッカー部に所属しました。中学ではレギュラーとして活躍するも、県大会予選の2回戦負け。チームとしても強くなければ、個人でも選抜に選ばれた実績もありません。

でも、高校進学前、15歳になった僕の夢は依然として「サッカー選手になること」でした。「やっぱ、いつかサッカー選手になるなら高校はめちゃくちゃ強いとこにいかなきゃなー」親も、学校の先生も、塾の先生も、コーチも、同じマンションに住んでる人も、みんな反対しました。「お前には無理だよ」。でも僕はそんな事、無視して、親に泣きながらお願いして、学費の高い私立の全国高校サッカー出場校に入学することにしました。

無事に試験も合格し、高校サッカー部のコーチに直接お願いし、入学前に練習に参加させてもらえることになりました。「ついに俺の夢への挑戦が始まる」そう、胸をワクワクさせながら行った最初の練習で、僕が思ったこと。「俺には無理だ」

練習に行くと、人工芝のグランドで(普通大体の高校は土のグラウンド)、「すげーー」って思って、グラウンドにいるこれからチームメートになる先輩や同級生の姿を見ていると、「なんか日本代表のユニフォームとかJリーグのユニフォーム着てる人多いなあ。やっぱ上手い人は形から入るのかあ」とか思っていました。自分も急いで着替えてグラウンドに行き、とりあえずみんなと話してみる。「みんな中学はどこのチームだったの?」

「あ?見ればわかんだろ。」と彼らは自分のユニフォームを指差す。「えーーーー」どうやら部員の殆どはJリーグの下部組織から進学してきた人たちで、代表のユニフォームを着てる人は本当に代表候補らしい、っていう事実だけで僕は「とんでもないとこにきちゃった」

とりあえず、練習に参加。練習中には「何してんだよ下手くそ!」「ふざけんな!」そんな罵声が飛んでいました。その矛先は、僕っていう。笑 もう全然皆うますぎて、普通の中学出身でで何も実績もないのは僕だけ。初日の練習でわかったこと、部員100人くらいいる中で、「俺が一番下手だ」ってこと。そして初日の練習で絶望し、「サッカー選手になる夢」も崩れてしまいました。

入学前から高校生活に不安を抱えてしまった僕。サッカーに限らず、他のスポーツでもそうだと思うんだけど、うまいやつが仲良くなって下手な人は相手にされない(仲間に入れない)っていう風習ありますよね!そこそこ中学ではイキってた僕でしたが、一番下手ということもあり高校では落ちこぼれ。もちろん一番下のチームから始まり、サッカーもできなければ、友だちもできない。なんかうまく行かなくて彼女にも振られる。もちろん僕が思ったことは、「やめてーーーーーーーーーーー」

でも、親にも無理言って入学させてもらって、「絶対大丈夫」って行って周りの反対を押し切って入学したにもかかわらず「やめたい」なんて言えるはずがない。てか、そもそもなぜ何も実績もなくうまくもない自分が「サッカー選手になれる」っていう夢を持っていたのかっていう。笑(今だから笑える)練習もきつかった。休みは週に1回。それ以外は毎日走って、その後夜まで練習。先輩にはいびられる。肉体的にも精神的にもきつかった。チームは強く、2年連続で全国大会に。僕には関係ないこと、そんなふうに思ってしまっていた。

あるオフの日に学ランの第2ボタンを外して学校を歩いてると先輩(キャプテンであり関東選抜)に遭遇。「おめーなに調子乗ってんだよ。坊主にしろ」うっかり先輩にも目をつけられてしまう。笑 坊主にしたくない僕はできるーだけ存在感を消し、先輩が引退するまで過ごしていました、坊主にしたくないもん。笑

そして先輩が卒業。100名の部員の中でも最上級生になった僕、よくわからないけどめちゃくちゃ調子良くなっちゃって。毎試合点を取りまくる。彼女もできる。友達もたくさん。「あれ、いいかんじじゃね?」そう思ってると、一番上のチームに呼ばれる。「あれーーーーーーーーーーーー」

結局、高校サッカー生活はベンチで終わりました。TOPチームに上がった後は調子に乗ってしまいれんしゅうもおろそかにしてしまったこともあり(悪いところ出た)、スタメンに入ることはできませんでした。引退試合では、自分の情けなさに涙を流しました。でも、下手くそだった僕はサッカーも少しだけできるようになり、人間としても成長していました。かつて抱いていた確信のない自信は、根拠のある自信へと変わっていました。「確かに最初はできないこともある、うまくいかないこともある、でも諦めずに続ければできるようになる、うまくいく」

大学編

大学の付属高校に通っていた僕は、部活の引退とともに将来のことを考えた。ふつーにこのまま付属の大学に進学するの、つまんない。それなら「A大学なら華やかで楽しそうで、女の子も可愛くて、絶対まじでやばい楽しいじゃん!」という動機で高校3年の夏に大学受験を決意。

そんな僕の学校の成績は下から数えて10番位。親も、学校の先生も、塾の先生も、コーチも、同じマンションに住んでる人も皆反対する。「おまえには無理だ」って。僕は思いました。「はいはいはい、待ってましたよ。反対が押し寄せてきたってことは挑戦が始まったんだ」って。この時の僕には高校入学前の僕とは違い、根拠のある自信がありました。

大丈夫。「最初はできないし時間も少ないけど、目的に向かって諦めないで続ければできる!」結局、目標にしていたA大学に合格。一方、滑り止めは全部不合格っていう、危うく滑っちゃうとこでした。笑

そして大学に入学した僕は、ウハウハでした。笑 専攻は心理を選びました。そして、心理学科の男女比は2:8。男が2です。「なんじゃそりゃーーーー」(本当に入学してから知った笑)なんかもう、ウハウハでした。学部でも友だちを作りつつ、「新歓」という新入生歓迎会に行きまくりました。

違う学科の友達もでき、絶対大学では地方から出身の彼女を作る!(僕は横浜出身)と公言していたところ、福岡出身の方言が神と言われている福岡県出身の彼女もでき、順風満タンに遊び続けていました。

大学の近くの家には小さいいえながら毎日15人位たむろしてる友達の家があり、毎日学校には行かず、友達の家に行き、遊ぶっていう。騒ぎ、歌い、酒を飲み、そんな大学生活をしばらく送っていました。ちなみに、友人の家は彼と出会って半年後に「強制退去」になってしまいました。原因は「騒ぎすぎ」です。本人はホームレス大学生になり、友人の家を転々としていましたが、不思議と後悔はなさそうでした。

当事者の一員である僕らも、後悔はなく(そりゃそうだ)、「僕たちは遊びきった」という充足感に満たされていました。彼女とも順風満帆な生活を送っていた僕でしたが、ある時、「何してんだろ症候群(勝手に名付けた)」に駆られました。

高校時代は下手くそながら毎日ゴールを追いかける毎日、がむしゃらにボールを追いかけ、ゴールを目指していました。そう、その時の僕には「ゴールが合ったのです」。でも、大学生になった僕には、「ゴールがなかった」のです。遊び遊び遊び、遊んだけど遊びの先に夢や目標はありませんでした。そして、僕は旅に出ることを決意したのです。(自分探しの旅みたいでかっこいい)

つづく

The following two tabs change content below.

Takahero

大卒ニートで90万円を握りしめ、世界24カ国54都市の世界放浪 !大卒ニート→世界放浪→フリーランスなヒッピー系男子

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

ツールバーへスキップ